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 ローマでの結婚式

【 随筆集「椎の実 第六号 1966年5月」に寄稿 】

昭和40年(1965年)の10月15日、それは私の35年の独身生活にピリオドを打つ日……。
私はローマのボルゲーゼ公園近くの小さなペンション「セミラミス」で目を覚ましました。
11日に日本を出発して以来、ずっと快晴に恵まれて来ましたが、この日のローマの空は一段と真っ青に晴れ渡って見えました。
身も心も浮き立つよう……と言いたいところですが、実は、13日にローマに着いた時から、日本での仕事疲れと、馴れぬ長い飛行機旅行で、内臓器官を完全にやられ、前日まで、市内見物はおろか、近くのボルゲーゼ公園へ散歩することも出来ず、セミラミスのベッドで未新婦さわに介抱されつつ、うんうん呻っておりました。
遙々、ドイツから駆けつけてくれた姉葉子と、心細げな花嫁に対する手前からも、何とか無事、結婚式をやり終わらせねば、という聊か悲愴な気持で、私は日本で新調してきたディナースーツに腕を通しました。幸い、緊張しているせいか、気分は前日より、ずっと持ち直っているようでした。花嫁は誰の手助けもなく、独りで純白のカクテルドレスを着、ヴェールを被り、身支度をしました。
午前10時半、ローマ日本文化会館館長の呉茂一さんご夫妻が、わざわざ車で迎えに来て下さいました。呉さんは亡父基一の一高時代からの親友で、私が自分勝手に、精神上の先生と決めて尊敬している方で、今度のローマでの結婚式も先生ご夫妻のお力添えがあって、初めて実現出来たのでした。
NHKのテレビ音楽プロデューサーである私と、声楽専門学校を出た新婦とのために、音楽の守護神サンタ・チェチーリアを祀る教会を挙式の場とし、特別に日本人の神父様を依頼して下さったのも、呉先生の温かいご配慮のお陰でした。
呉先生ご夫妻と姉とに付き添われて、私達二人は初秋の陽射しが、紅葉し始めた木々の梢に燦々と降り注ぐ並木道を通って、サンタ・チェチーリア寺院へ向いました。信号で車が停まったりすると、通行中の人なつっこいイタリア人の小母さんや陽気な若者達がのぞき込んで、彼等の目から見ると、まるで子供のような日本女性の花嫁姿に、ニコニコ笑いかけてくれました。三十分程して車はテヴェレ川の西、トラステヴェーレ地区にある古めかしい四角な塔を持った、静かで品良く、そして、いかにも温かな雰囲気の教会に着きました。私達は前庭の噴水と植え込みを通って中へ入りました。
正面の祭壇には紀元280年、苛酷な迫害を受けて殉教の死を遂げたサンタ・チェチーリアの最後のお姿を写した大理石の臥像が安置されていました。そこで、私達は、にこやかな日本人の園田神父様に迎えられました。
私共二人はカトリックの信者ではありませんから、正式のミサを受けることは出来ません。そこで、左側の石の階段を降りた、地下の、サンタ・チェチーリアの遺体を祀った小さな礼拝堂で、ベネディクション(祝福式)をあげて、私共の結婚の儀式とすることにしたのです。

サンタ・チェチーリア寺院

その礼拝堂には十数本の大理石の小柱が整然と並び、その柱に支えられた低い天井は、いくつものアーチで区切られ、唐草模様と天使の姿が描かれていました。床はモザイクの模様、そして、壁は静かな宗教画やラテン文字で飾られていました。
いかにも、ひっそりと落ち着いて内省的な礼拝堂…………。
神父様は白い法衣に、袈裟のようなものを首に掛け、祭壇に向い、私共二人は、その後に、呉先生御夫妻に挟まれ、椅子に座って頭を垂れました。式の立会者は姉と大使館のご家族のお嬢さん二人でした。
私共は現実の立会者こそ少ないけれど、サンタ・チェチーリアの大きな懐に抱かれて、沢山の人々の好意に満ちたまなざしに見守られているような温かみをひしひしと身に感じて、ベネディクションの間、私の心は病も疲れも忘れて、しばし、幸福感に酔いました。それは、この女房を貰ったという喜びよりも、もっともっと次元の高い、人間の善意と静謐な美しい周囲との調和に自分自身を同化し得たという宗教的な充足感でした。
花嫁は、かねてから結婚式の時には是非、手に持ちたい、と願っていたブバリアの花束(これも呉先生が買い揃えて下さったもの)を大事そうに抱え、純白のヴェールの蔭で式の間中、シクシク涙を流し続けていました。私が彼女の指に結婚指輪をはめて、式は終わりました。
このベネディクションの途中、イタリア人の老神父がアメリカ人らしい旅行者の老夫妻を案内して礼拝堂に入って来て、式を眺めていました。式後、園田神父様に紹介していただき、そのイタリア人のディオニッシ神父が、このサンタ・チェチーリア寺院の司祭であることを知りました。ディオニッシ神父は、この新しく生まれた異教徒夫婦に対して、何のこだわりもなく、慈愛に満ちた眼差しで心からの祝福を贈って下さいました。六十才を越していると思われるディオニッシ神父はニコニコ笑いながら、花嫁の手にしたブバリアの花束を指さしておっしゃいました。
「この花束も明日には枯れてしまうだろう。あなた方の若さも同様に、やがては、あせてしまうだろう。しかし、愛はいつまでも二人の心の中に抱き続けなくてはいけない。愛はこの世の中で一番大事なものなのだから。」と。そして、また、「日本へ帰ったら、自分の家の門に「ROMA」と大きく書きなさい。そして、読むときは逆に「AMOR(愛)」とお読みなさい。そして、その度に、今日、ローマのここで誓い合った「愛」を思い浮かべるのです。」と諭されました。
ロマンティックな気分に浸っている二人にとって、これはまた、グンと身に沁みる御言葉でした。すると、今度は、わきで聞いていた、人のよさそうなアメリカ人の老夫妻の、お婆さんの方が、いかにも感じ入った様子で口をはさみました。「主人はアメリカ、スタンフォード大学の教授ですが、今、休暇で一緒にヨーロッパへ何度目かのハネムーンを楽しみに来ているのです。あなた方の結婚式を拝見して、貴女の持っているのと丁度同じ、ブバリアの花束を持って結婚式をした三十五年前のことが思い出されてなりませんでした。」と。
私の妻は、それを聞いて、すっかり感激して、手にした花束からブバリアの花を二、三輪抜いて、その老婦人のスーツのボタンホールに差してあげました。
すると、彼女は涙を流して喜んで、ご主人共々、私達二人の前途を心から祝福して下さいました。

サンタ・チェチーリア寺院正面にて(呉茂一さん御夫妻、姉葉子、園田神父、興味しんしんの小さな野次馬さん二人)



その後、ディオニッシ神父様の特別なご配慮で、礼拝堂の奥に或るサンタ・チェチーリアが迫害を逃れ、ひそかに信仰を守って暮し続けた質素な住まいの跡を拝観させていただきました。
それから、明るい前庭に戻り、噴水の前で記念写真を撮り、名残を惜しみつつ、思い出深い、このサンタ・チェチーリア寺院の重々しい鉄門の扉を閉じて、帰途についのでした。
きっと、あのサンタ・チェチーリアの小礼拝堂は、死ぬまで私達二人の心から消えることはないでしょう。あたかも、それが私達二人の愛を超えた、愛、そのものを象徴するかのように……。


サンタ・チェチーリア寺院の地下礼拝堂