私の人生のスタート点となったNHKイタリア歌劇公演 |
一九五八年、私は三年半勤めた日活映画会社宣伝部員を辞してNHKに入り美術部制作進行課に配属されました。制作進行は、様々な番組のディレクターから、番組収録に使う大道具、小道具、衣裳、生花等の注文を受け、予算枠中で業者に発注調達、本番時にそれをチェックする役回りです。
そんな新入社員の私に思わぬ幸運が舞い込み、翌年の第二回NHKイタリア歌劇公演に、オペラ好きの私は志願して舞台監督助手を務めることになったのです。三年前の第一回イタリア歌劇公演が社会的反響を巻き起こすような大成功で、この第二回が開催されるようになったのですが、第一回の時にはなかった美術部が出来たので、今度は外注せず、美術部で対応することになったのです。オペラには多少詳しくとも、舞台裏にはまるで、素人の私の悪戦苦闘の毎日が続きました。
しかし、ローマ歌劇場等で活躍のブルーノ・ノフリ氏が、殆ど棒立ちの素人そのものの合唱団や脇役の日本人歌手にどうやって演技をつけて行くかを実地で学び、デル・モナコ、タリアヴィーニ、ゴッビ、プロッティ、シミオナート達、世界トップクラス歌手の名演を目の当たりに見て、沢山のことを吸収しました。
そして、この時の働きぶりが認められ、私は希望通り、音楽部洋楽班に転属になり、その後の三十年、構成番組、リサイタル番組等も担当しましたが、オペラ番組担当が一番長く、その間、第八回まで続いたイタリア歌劇公演にも毎回、何らかの形で関わり、世界一流歌劇場来日公演を中継放送したり、その一流歌劇場が現地で上演したオペラに枠や字幕をつけて放送したり、二期会、藤原歌劇団等の公演を中継放送もし、自らスタジオ・オペラ「愛の妙薬」「外套」「コルヌビルの鐘」「妖精ヴィッリ」等を制作、演出、放送。
三年毎の国際ザルツブルク・オペラ・コンクールでは一九七二年に「死神」で二位相当の優秀賞を、一九七五年には文楽人形オペラ「鳴神」でグランプリを受賞しました。
定年退職三年後の一九九〇年に自らニュー・オペラ・プロダクションを組織し、今迄に自主オペラ公演を十三回、市民、地域のオペラからの要請を受けて制作協力、演出した公演は全部で五十公演に及び、二〇〇三年には永年の日本オペラ界への貢献に対し、新日鉄音楽賞特別賞を授与されました。
今更ながら、NHKで学んだことが、その後の人生に、どれ程、大きな恩恵を受けたか計り知れない、と、心からの感謝の念を新たにしている次第です。
ニュー・オペラ・プロダクション 代表 杉 理 一