noplogo.jpg

 私の星と天体望遠鏡とにまつわる思い出

【 2018年9月12日記:天体望遠鏡博物館(香川県さぬき市)に天体望遠鏡を寄贈した際、同博物館より寄稿を要請されて。この文章は望遠鏡と共に展示されている 】

 私の父は大蔵官僚でしたが、大変、多趣味で、私に最初に、星を見る楽しみを教えてくれました。私は4才になったばかりで、記憶力もまだ定かでない時に母を結核で亡くし、その後、父と一緒に夜空にきらめく星を見上げては、今は、その星にいる母が、いとしげに私達を見下ろしているような錯覚を抱き続けていました。そして、小学校へ入った頃から、私は父に星座について教えられ、その星座に纏わるギリシャ神話も少しずつですが勉強して知りましたが、父の一高時代からの親友に、その後、ギリシャ文学者として有名になった呉茂一さんという方がおられ、その方の著書のギリシャ神話、ギリシャ悲劇等を読むにつれ、一層、星への興味が深まりました。また、戦後間もなくに見た映画の中で、若者が或る星を「自分の星ときめている」というシーンに刺激を受け、さそり座の心臓部に当たる赤い星「アンタレス」を自分の星と決めたこともありました。

 開成高校から学習院大学政治学科に進学した私は、父同様、官界、政界への進路を歩もうとしていたのですが、いつしか音楽の神ミューズの魅力に取りつかれ、当時、多く上演されていた外国の音楽映画にも影響され、日本の音楽映画を作ろうと、戦後、映画の製作を再開したばかりの日活映画会社の試験を受け、その宣伝部員になることが出来ました。当時の日活は既成の映画会社、東宝、新東宝、松竹、大映、東映が手がけていなかった、社会問題作、ヒューマニズム溢れる作品、文芸作を作っていたので、そこに狙いを付けたのですが、入社したのと同じ頃から、テレビの影響で、映画界が見る見る衰退するようになり、なりふり構わずアクションもの、肉体ものに力点を置くようになったので、私は絶望の淵に立たされました。その時、幸運にも総合テレビだけだったNHKが教育テレビ・チャンネルを増やすので、臨時に中途採用の職員を募集、即、その試験を受けて転社することが出来たのです。

 3年半いた日活の退職金は約3万円でしたが、それをずるずる使ってしまうより、今迄、買いたくても買えなかった、何か思い出に残るものを、と考えた時、真っ先に頭に浮かんだのが、いつも遙か遠くの存在と思っていた星をもっと身近に見られる天体望遠鏡でした。

 NHKに入った翌年、イタリア歌劇公演の裏方を務めたのをきっかけに音楽部に配属になり、それはそれは超多忙な毎日を送ることになり、夜半、疲れ果てて帰宅すると、そのままベッドに倒れ込む有様で、なかなか、愛する天体望遠鏡をのぞく時間がとれなくなって来ました。それに、悲しいことに東京の空が次第次第に曇りっぽく鮮明さを失い、望みの星を見つけるのも、星の運行を追うのも難しくなり、望遠鏡には気の毒ですが、ご無沙汰することが、段々永くなってしまったのです。

 私の家のルーツは愛媛県東予市なので、同じ四国の隣の香川県には何となく、親しみも感じますし、四国なら、まだ、東京とは違って、夜空にキラメク美しい星々を眺めることも出来るでしょうし、この思い出の望遠鏡自身もきっと喜んでくれると思います。この望遠鏡を覗いて、星々をご覧下さる皆様のお幸せを心から願っています。

ニュー・オペラ・プロダクション 代表 杉  理 一